バンノのJICAボランティアへの決断とその想い。

皆さんお久しぶりです。

 

バンノです(^^)

 

今年はここ1ヶ月限定(8月18日〜9月半ば)でいくつか記事を書けたらと思います。

その後はバンノの諸事情で来年以降の予定。 m(_ _)m

現在今までと違う一年で、世界中が混乱してますね。

今年はコロナに加え、大雨・猛暑とたーいへん😭

体調管理ももちろんですが、メンタルのケアも大事にしていきたいものですね。

 

今回は自分のJICAボランティアへの決断とその想いについて述べたいと思います。

 

4月頃JICAボランティア隊員全員帰国となり、先月それぞれボランティア活動を延長するか、辞退をして次の進路に向けて新しい道を進むかを迫られました ⬅︎ ➡︎

周りの人達がどのような判断をしたか気になるところですが👀、自分は後者の方を迷わず選びました。

というのも、このコロナの状況ではここ3年は活動再開は厳しいだろうなと思ったこと、バンノは現在24歳で待機延長と次の進路を選ぶかを天秤にかけたときに、今は人の為に尽くす時間よりも己の時間を大切にしたいという気持ちが強かったからです。

もちろん現地での活動を急に切り上げる事態でやり残してしまっていることもたくさんあり、今でも心残りとなっていますが、やはり現実的に厳しい状況と、

 

自分が教えていた子供達は元気に過ごしているだろうということが

容易に想像できるからです🙄

 

実際今でも一部の生徒からは時差を無視したラフな連絡がきますし(笑)、活動パートナーだった人からも良い近況報告を頂いてます。その報告を聞いてバンノは安心できています。

しかし、なぜバンノがそのように楽観的かというと残酷な話ですが、

 

彼らは経済的に貧しいながらも日頃から楽しく生活しており、自分がする柔道の指導はその後の生活をよりよく出来るかどうかに過ぎないものと思っているからです🧐

 

柔道の指導は、子供達の心や体を鍛える素晴らしいものですが、人生において必ずしも絶対必要なものではなく、その後の人生に彩を与えるツールであり、決して強制的に習うものではないと、、。

そんな感じで、今後彼らが柔道を継続的に学んでいるかどうかは把握できておりませんが、自分が一年弱いたことで彼らの人生に少しでも良い方向に働いてくれたらと願っています😌

 

今回までは、JICAボランティアの活動に関する記事だけを書いてきましたが、これからは主にバンノが感じていること思ったことについてをメインに綴っていけたらなと思っています。

読んで下さる方の時間の無駄にならないようななるべく有益な記事を作っていきたいと思っておりますのでどうぞこれからも温かい目でよろしくお願いします。 m(_ _)m

 

んでは、アディオス❗️✌️

 

 

 

 

忘れてしまってはいけないもの??

どーも

バンノです🙋

このブログ読んで下さる大半の方は自分が現在日本に緊急帰国し、ある場所に隔離されているのは周知でしょう。

隔離期間は2週間で現在折り返し。その後は一旦自宅待機となり、今後の上の指示で再派遣になるのか、中止となり働き始めなければいけないのか。

 

そんな中最近の活動を振り返り、これからの練習がバンノの活動における本番だぞ!ということだったことからお話できたらと思います。

活動から1年、柔道着🥋が日本🇯🇵から贈られ、自分が最初から教え始めた生徒達がついに試合に参加することができ少しでも活躍することを祈っていました。

 

しかし結果は全敗。それも全員1分半も経たずに一本負け。

柔道着が届くまでは、生徒も生徒が来たらしばらく消えまた新しい子達が来るみたいなサイクルが続いて、

ついに柔道着が届き彼らが一斉に練習し始めました。それでも練習不足や初試合の緊張もあり、相手に紙吹雪🌬のように飛ばされ何もいいとこがみられなかったというのが正直な感想です。

しかし全試合が終わり、生徒達は自分が弱い、次は負けない!という気持ちの籠もった言葉がみられ、これからが生徒達の成長を楽しみにできるなという思いでした✨

 

その試合の土曜日から次の週は私の自宅付近や柔道場が洪水🌊になり、練習が出来ず自宅待機していたところ、いきなりボランティアコーディネーターであるザンビアスタッフから緊急で日本に一時帰国をすることとなりましたとの一報が。

 

急いで荷造りをし、携帯を持たない生徒達に一旦離れることを伝えられないまま出発地である空港に向かうことに✈

 

無事にザンビア🇿🇲隊員全員が羽田空港に到着するやいなや2週間の隔離場所に向かい大半の時間を個室で過ごすこととなり。

そんなこんなで現在は14日間の隔離期間の折り返し時点であり、これからJICAの本部からどのような通達がくるのでしょうか。

 

そんな先行き不透明な状況ですが自分の中で忘れてはならないことは、

・自分の外にある出来事は変えられない。

 自分にできることは、大ざっぱな予定を

 立てて、今のこの瞬間に出来ることを

 淡々とこなしなさい。

・人生において自分で決断したことは人生

 において後悔しないから自分の心の中での

 正しい選択を大事にしなさい。 

今自分が健康で安全に生きているのは

 周りの人達があってのことだから常に

 彼らへの感謝を忘れないでね。

ということです。

 

現在の世界的危機下である状況では、つい自分中心に考えたり、

周りの人へのありがとう!という気持ちを忘れがちだと思います。

そんな感謝

というワードで1つ最近のエピソードを紹介出来ればと思います。

 

私が隔離されてる間に、部屋にあるテレビ📺で卒業式の様子が映し出されました。

その卒業式は保護者参加無しの1メートル感覚で生徒達がイスに座り短い時間で行われました。

その中、先生達が生徒達の前に並び生徒達が歌う練習が出来なかった歌をサプライズで歌い始めました🎤 

先生達も先行き不透明な状況の中、歌を通して長い間関わってきた生徒達を送り出そうとしたその姿にバンノの目から思わず涙が溢れ落ちてしまいました(泣)

生徒達も授業などがない間に練習したということを汲み取り感謝の気持ちを述べていました。

 

そんな今回の記事を読んでくださった人達が現在の苦境な状況でもそのような暖かい気持ちをもって乗り越えられることをバンノは心からお祈りしたいと思います🙏

 

Life is beautiful

Cheers!👍



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最近あんなことがあったり、こう思ったり、、

どーもどーもバンノでーす!!!!ʕ·ᴥ·ʔ

 

今回はテーマに絞らず、バンノの色々な状況と心境についてなるべく端的に書いてきたいと思いまーす✌️

 

最近は柔道の畳や柔道着が届き、あの涙のオリンピック代表発表会見をした井上康○監督に2通の礼状をバンノなりに一生懸命書いたり、届いた物を管理したりするのにエネルギーを注いだりしてました。

 

オリンピックに関わること今のとこないけど、同じ大学のところから1人決まったことは嬉しいし、

1人落選して残念に思ったり、

20年に1人の逸材と言われてるのに代表が決まってない一緒に練習したスーパー後輩が4月の最終選考会で勝って金メダル取ってほしい!!

等々、

他にもオリンピック選手で関わった人がたくさんいて色々な気持ちが柔道のオリンピック選考に対してあります◖⚆ᴥ⚆◗

 

そんな現在ではオリンピックとは全く関係のないアフリカの関係で柔道を教えているバンノは帰国後に色んなパワーアップしたいと思っており、昨年は英会話に力を注ぎ、今年は英文読解の向上、ビジネススキルを上げようとそれ関連のYou Tubeをバカみたいに観ており、インプットを増やしていけたらなと思っております。

中間報告の発表で発表を聞いたボランティアコーディネーターの方にアドリブの英語発表を褒めて下さったっの嬉しかったし、柔道を教えてるネイティブの保護者の方にも上手くなったと言われてようやく報われた気分でおりますがもっともっともっとパワーアップして参りたいと思います(◠ᴥ◕ʋ)

 

一方肝心の任地の生活は、色々と問題続きで柔道着の盗難があったり、新しく来た使用人さんの子供が生徒時計⌚盗んだり、ザンビア人とお金💸のトラブルがあったり、自分が目を放してるときに遊んで頭🧠を大量出血したりするなど悲惨な出来事続きで、一旦頭をフラットにして課題解決に1つ1つ取り組んでいきたいと思います(* ̄(エ) ̄*)

 

最後に、このブログを読んで下さる方にお願いなんですが、自分は柔軟に色々対応できる人間ではなく、1人で考えて突き進んでいける人間ではないので、電話☎や会った時に色々話かけてください🙏

自分は人との雑談やこうやってSNSやブログ書いたりして頭の整理をして前に進んでいける人間なので。(◠ᴥ◕ʋ)

ただ正直自分は、大人数の飲み会やパーティーは楽しむの以外と苦手なんでそこのとこはよろしくお願いしゃす💦( ͡°ᴥ ͡° ʋ)

 

こんな不器用なバンノですが、たくさんの人に支えられてることを忘れず、自分が多くの人の心の支えになるような人間になるよう頑張って参りたいと思います!!🎉🙆😆

 



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新年明けまして&国際協力への葛藤

皆さん明けましておめでとうございます🙇

今年もバンノのブログをYOLO(you only live once)しくお願いします!(・∀・)

 

年末のバンノは前回の話の通り衣類👕も携帯📱も失いショックを受けてましたが、学校休みで子供達が沢山来ており、楽しく柔道を教えながら少しずつ元気を取り戻してきました😁

 

そんなバンノは柔道の時間以外はインスタでみんなの楽しそうな画像を見ながら一人ひたすら自問自答を繰り返す日々です笑

 

今年どんな意気込みがあるかと言われれば、昨年と変わらず自己研鑽を怠らず、自信を持って日本🗾に帰るのが目標ですが肝心の活動に関してはある葛藤を抱きながらやってる状況です。

 

協力隊員なら皆真摯に何がその国の為に支援になるかと考えると思うんですが、自分の目の前ですべきことは同じく柔道の技術指導や子供へのしつけやマナーかなと思い指導しています。

一方でより抽象度を上げて、自分の任国であるザンビア🇿🇲の発展にはどのようなことが必要か考えることがあり、自分が普段してる活動や現地の人達との関わりが本当に役に立っているのかとても考えさせられます。

活動パートナーであるJさん(白人ザンビア国籍)はザンビアの発展について独立後から人々、経済、国としての全体的な成長については横ばい、寧ろ衰退してると言ってます。

彼の意見に偏りがあるかは置いといて、自分の目👀や歴史をサーチ🔍してみると人々の支援慣れやこの国の歴史や将来性を見るとあながち間違えではないのではと思っています。

 

簡単な例は人に食べ物や何かを無償でしてあげるという行為です。

エチオピア🇪🇹旅行中に一緒に旅行したある某国隊員が自分からは食べ物等は必ずあげない。何故ならその人達の支援依存に繋がるから。

と言って、その時の自分は子供達に自分があげたいと思った時にあげる心からの無償支援はいいんじゃないかって少し食事中話し合ってました。

自分は森にある家からたまにタウンに行ったときは子供達のボロボロな服や明らかに栄養が足りてない子供達に身体の負荷がかかる柔道をさせるのは少し不憫だと思ってパン🍞やスナック菓子をあげてしまいます。

しかし、自分が買わない時に子供達から何にも買ってないのとか?柔道着🥋貰えないの?とか言われたりすると自分も不愉快になりますし、何かしてあげるのがバカらしくなります。

こういう葛藤が難しく、自分の目の前の行動が子供達の将来の役に立っているのか?ととても悩むところです。

 

また一方プライベートでも年末に自分は楽しく現地の人達と楽しく喋ってただけなのにビール🍺をタダでくれました。が、本日の1月1日の別の人にはビール🍺奢れ!って言われたりと。(前回浮いたお金への気持ちで結局奢った。)

またある場所で座ってるといきなりGo back to China!🇨🇳と言われ、一方で背中に背負ってるリュックのファスナーが開いてて、歩いてるときに盗まるからちゃんと閉めないとダメだよと親切にされたりと、自分が彼らに対してどのような態度や振る舞いをすれば良いのかイマイチ分からなくなってきてる状況であります。。

まぁ、人それぞれやねって言ってしまえばそれまでだけど。

 

もう協力隊2年目最後の年。

2020年の活動を通して国際協力というものに対してどのような行動、活動が求められてるのか考えながら精進して参りたいと思いますm(_ _)m

もし、協力隊員、一般の方でこういう考えがあるよ!というのがあれば気軽にバンノの方まで意見を言ってください👏お待ちしております🙌

 

では、また(◔‿◔)
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地獄の空港問題 エピソード続

 

どーも、バンノと申します。つまり私の名前バンノです!👏(小泉構文、、、)

 

前回の話を短く話すと、帰りにチェックインして、言われたゲートで待ってたのにも関わらず乗れなく、航空従業員の嘘や聞き流しや、彼らとの喧嘩を経て、6時間経ち空港から出られないという状況となっているいました。

 

一刻も早く帰るために、尋ねまくった中である親切な女性従業員がついにWiFiの繋ぎ方を教えてくれました! それはなんと、Google検索エンジンから文字入力して繋げる方法で今まで知る由もありませんでした。

そうして、チケット🎫を既に更新してタダにしてくれない状況であり、バンノは新しいチケット購入をし、行きと同じ場所だと3日以内にフライトがなく、ザンビアの首都直行便に変更して買おうとしたところ$600、、高すぎワロタとか思いながらもそれしか方法が無く予約確定し、支払いをエチオピア空港内で済まそうとしました。そこで支払いするためには5時間後じゃないと無理と言われフライトの次の朝まで待つこととなりました。その間に一緒に旅行したケニア隊員の人が帰るのにまだバンちゃんいたの!?と会ったり、夜🌃頃、活動のホストファミリーであるクルガー家がフィリピン🇵🇭行くのに乗り継ぎでばったりあったり、しながらただひたすら食事を挟みながら時間を過ごしていきました。

んで、翌日!

支払いをしようと並び、払おうとしたらなぜか自分の支払いがひたすら後回しにされてしまいます??  1時間後、従業員側のブースに呼び出されパソコン画面を見せられると個人情報は正しいかと言われ、見てるとその従業員が支払い操作の仕方が分からずひたすら同じページにいるという状況だったのです!

そんな状況に呆れながらひたすら待ってると違う場所で待ってて!と言われ、慌ててこっちに来るなり、急のこのフライトに乗って!とチケットを渡されました!?

クレジット番号は打って無いはずなので大不幸中の幸いで$600がタダになり、急いだけど無事ザンビア🇿🇲に向かう飛行機に乗ることが出来ました!(*´ω`*)

 

がしかし、到着地は行きの乗り場と異なる首都となり、JICAの宿泊場で一泊して帰るハメとなりました🙄 宿泊場で溜まったグチを挟みながら美味しいナンカレー🍛を食べ、翌日任地の近くの空港に向かい、預け荷物を手にする必要がありました。

 

行きの乗場であった空港に午後6時前に着き、荷物がそこにあるはずだから見せてくれと言うと、今日は仕事終わりだから無理と言われました。

けど、その預け荷物見つけるのは1分間程あれば見つかるし、その場所はすぐ近くにあるのに何で!?と少し文句言っても聞かずその周りにある宿泊施設に泊まるハメになりました。

 

翌日、朝イチで空港に着き、荷物を確認させて!とお願いしたら、上の者らしき男が出てきてすごぉい上から目線の言葉からのそこのイスで待ってろと言われ30分待っても来ませんでした。

次その男が通りかかってきたときに明らかに自分のお願いを無視していた様子と、まだなの?と言っても、上から目線でダラダラ喋って来るのでバンノブチギレ💢で早く仕事できねぇのか!?と壁を思いっきりブッ叩いてようやくその男は動き出し初めました。

そして荷物を確認した結果、自分のがありませんでした。。

自分は初一人海外旅行でこうなることを予測しておらず帰りのチケットはあるものの、預け荷物のバーコードを既に手元に持っておらずどうにもならない状況となってしまいました。(ここでも一幕あったが省略)

 

さらにまた同時に問題で、その日泊まった先から空港に向かう途中に自分の携帯をなんと落としてしまっていたのです。空港に着いたときに気づいてはいたが預け荷物をすぐ手に入れて、タクシー🚕使って探す計算でいたため全て予定が狂っていました。それもあり預け荷物で待たされるのに余計イライラしてたのです。

時間遅れて来た道を慎重に探したり、人に尋ねてると、自分の携帯を拾った人農家の人がいました!空港が近くなので人に頼んで預けたらしく、空港に再び戻ったが空港には届いていませんでした。。

 

つまり、バンノは携帯📱、預け荷物のバッグ👜を一度に紛失してしまいました。。

 

これは自分の管理甘さも大概ですが、それまでに空港従業員の大半のいい加減さに幻滅もしてて精神的にかなりキテしまいました。

携帯には先日エチオピア🇪🇹旅行で撮ったばかりの写真を初め、たくさんの写真や大事なデータも失い、バッグには日頃お世話になってる人達へのお土産や沢山の衣類までも失くしてしまいました。

 

この経験から学べることが失ったものの割に合わず、これから時間をかけて元気を取り戻せたらと現在クリスマス等々でも大人しく任地での活動に励んでいます。

 

任地の子供達はうるさいぐらい元気でTaki!Taki!柔道したいと言ってくれるので結構自分が教えながらも励まされる側にいる今日のバンノであります🤫

 

では、また2020年のバンノも引き続きよろしゅうお願いしますとさ😆

 

2019 完

 

 

 

地獄の空港問題 エピソード1

皆さん御無沙汰っす(´・ω・`)

 

バンノ座右衛門です。

今回のエピソードはハプニングだらけで自分で書くのが億劫になるぐらいに長いエピソードになりますが丁寧に2部か3部制にして説明出来ればと思っています。m(_ _)m

 

てことで第1部。

 

初めに、バンノはエチオピア🇪🇹に任国外旅行に旅行に行きエンジョイしてきました!

うぇいよ〜(薬物してないからね😅)

 

3種類の塩湖、火山の頂上、溶岩、教会等の観光、そして再会した同期のみんなと一緒に話しながら行動出来たことが最高に良かったです!

が、最終日にみんなで韓国料理店でご飯食べて、空港までタクシーに乗り、フライトのチェックインした後に長い長い悪夢😈が始まります。

自分の予約したフライトの入場ゲートの番号が書いておらず、ゲート前の荷物確認のとこでゲートナンバーを聞いて、その番号で待つことになりました。

A7ゲートで数時間待ち、来るかなぁ来るかなぁと待っていてもそこに人混みはほぼいなく、少し不安になりながらも待っていました。

時間が過ぎた、、?

自分は慌てて周りの空港従業員に聞き、チケットを見せて時間過ぎたぞ!と言った途端、違う場所に聞いてくれと言われ、そこに問い詰めるとお前のせいだ!お前が間違えたんだ!っていきなり逆ギレされバンノのはっ?となり怒りを抑えながら丁寧に説明しました。

そしたらそこのイスで待ってろと言われ何十分待っても来る気配なく、これは完璧に逃げられたと悟り、とりあえずチケットを新しくしてなんとかできないかと色んな人に尋ねながら歩き回りました。

まずはカスタマーサービスは自分がエチオピア空港の会社のチケットじゃない(俺は経由で使うケニアケニア航空)と相手にされずとりあえず人づてに聞くしかありませんでした。

 

しかし、このエチオピア空港は如何せんめちゃ広い。言われた場所に言っても向こうにただ聞き流されたり、嘘つかれたり、そもそも英語が話せない人がいたりと、自分の怒りも時間が経つにつれ、怒りが沸点に近づき、それと同時にチケット🎫をこれは新しくせざるを得ないな、JICAに連絡せねばともう一晩首都に泊まろうと外を出ようと思ってました。

 

空港の出口に向かおうとしたその時、パスポートを見せろ!と止められ見せ、VISAは無いのかと言われ、いやないですと言ったらここ通るな!って言われいや、自分は日本のやつかつ、オフィシャルパスポートで観光の際に必要ないと言われてここに来てたんだよって言っても全然聞く耳もたず無理やり通ろうとしたら、またパスポート見せろと言われ秒で見せいいか?と聞いたら無理と言われ、ふざんけんなとついにバンノはブチギレ💢ました。そしたらそいつにここには帰ってくんな!とキレられ、クソ○ね!(口悪い🙄)と心の中で叫びながらそこからバンノはまた空港内をうろちょろするハメになりました。

 

携帯使えば何でも何とか出来るんじゃないの?と思った人もいると思いますが行きのときから携帯のWiFiが繋がっていなかったのです。この問題の解決はこの時の数時間後となる。。

 

それで、とにかくカスタマーサービスに再び向かいチケットを発行してくれと言っても、インターネットで予約して支払いをここでしないと無理と言われインターネット繋がらねぇよと言っても相手にされませんでした。

そのショボくれたバンノを見たある従業員が〜のゲート行けばクレジットで支払いしてくれるよとアドバイスしてくれそこに早速向かい、そこにいた従業員にチケット🎫新しく発行してくれるの!?と聞いたら、

うん!けどそこらへんで待っててね!

と言われ、これは大丈夫かなと眠い目玉をこすりながら辛抱強く待ってました。

 

結果、数時間待っても彼は帰って来ませんでした。。。OMG,,,

 

 

つづく。

 

 

難民の人達と1人の少年in メヘバ🙎🏾‍♂️

ミナサンオツカレサマデス🤓

 

バンノです✌️

 

一、二ヶ月前は結構気分を落とし気味でしたが最近は子供にはマナーを守らせかつ全力で遊ばせろ!をモットーにゆるく指導して自分も楽しめて活動してます😀

 

そんなバンノはザンビア🇿🇲にあるメヘバ難民キャンプに国際柔道連盟からの支援を受けて練習を行っている選手達に今回柔道指導🥋でお邪魔させて頂きました🙏

メヘバ隊員M &Mさん忙しい中手配から三食の食事から何まで大変お世話になりなりました🙇‍♂️

 

実は前に一度イベントの際にソーラン隊の一員としてお邪魔させて頂いたのですがスケジュール的🗓に時間が無く難民の人達と関わる機会はあったのですが周りを回ったり、住民がどんな生活しているのかは分かってませんでした。

なんで今回はゆっくり隊員のお二人からも色んな話を聞いてゆっくり難民方々の様子を伺えることができました!🤣

 

まず、彼らは難民の人々ということで主にアンゴラ共和国🇦🇴、コンゴ民主共和国🇨🇩の難民が主に避難手続きを経てメヘバでの生活を過ごしています🏡

そんな彼らの生活を箇条書きで説明すると、

①家はそれぞれエリア毎に振り分けらる。

②生活費は月日本円で千円。😳

③教育支援は小学一年生から高校三年までは寄宿学校での生活を無償で提供されている。

④卒業後は母国に帰るor仕事を探しそのままメヘバで生活をする。

と大体こんな感じのシステムで生活が行われてます。

さらに中身を掘り下げていくと、

①→エリア全体の広さは大体シンガポール🇸🇬程の広さらしく住民が仕事を求めてザンビアの首都ルサカにいた住民が政府の意向で追い返してるため仮設住宅を急ピッチで作る等人口が増え続けてる。

②→ホントはダメらしいが、生活費は非常に生きていくためには足りず、ミニバイクのタクシー運転手🛵や食事販売🍽をしてる場合が多い。

③メヘバの寄宿学校はザンビア🇿🇲で一、ニを争う優秀な学校で難民じゃない家庭が裕福な生徒達も存在し、バイリンガルトリリンガル‥が当たり前の子供達である。

④卒業後は優秀な生徒達でも大学に行くお金💴やサポートが少ないため、仕事を行う場合が多い。家庭が裕福なザンビア人はそのまま大学へ進む場合が多数あり。

 

こんな彼らは通常のザンビア🇿🇲人とは違いシャイな子達が多く、年齢問わず落ち着いてた人達が大半で平和であり、道を歩いてる羊🐏や豚🐷までものんびりと過ごしてましたww

 

 

そんな素敵な場所でバンノは以前ソーラン隊で来てた時にバンノが柔道🥋隊員と知ると否やすごい柔道やりてーって突っかかってくる少年が1人いました。

学校の成績も優秀で、彼の名前はバンノの🏡の近所の地名と同じですぐ覚え、またすぐ来るから待っとけ!と言いました。

約束通り来たバンノはメヘバ隊員の方に柔道やりたがってるC君も呼んでくださいと事前にお願いしてました。

当日柔道指導🥋が始まる前に彼は楽しそうに柔道場に入り、並外れた運動神経を生かしバク宙を跳んだりと楽しんでいました。

がしかし、

多くの人が集まったところでバンノが始めようとするや否や彼の姿は柔道場からは見当たらなくなってしまいました。その後2時間の指導の間彼は帰ってこず、彼がなぜ柔道場から居なくなってしまったのか謎のままです。

 

その問題とは関係があるかどうかは分かりませんが、彼は幼い頃に両親を殺害され、遠い母国から2年間かけてメヘバに辿り着いた苦労人の子です。ソーラン隊としてバンノが向かった後にメヘバに日本人🇯🇵歌手のMISIA👩‍🎤が来て彼を難民の子達の苦労話をインタビューで話すことになり、その後彼は辛い境遇をビジュアライズされたことによって泣いてしまったようです。

その後、メヘバ隊員の人曰く少し様子も変わったようであり、彼は隊員に日本🇯🇵から自分へのサポートをし続けてくれないだろうかと相談されたそうです。

ていうのもその後のインタビューでメディアからの謝礼金を貰ったことによってその後も出来ないだろうかということだったのです。

 

そんな様子が変わった彼が今どう思い、これからどのように生きていくのか心配です。

以前最初の方に投稿したブログの少年も境遇が聞いたところによると現在状況が厳しいところであり、場合によっては犯罪に手を染めてしまいそうな状況もありうるとのことで(具体的には言えない)。

 

そんな生まれた境遇で考えも変わり、生活が過酷な場に生まれた人達が救われる世の中に一刻も早くならないといけないというのが発展途上国の大きな問題の一つです。

 

バンノもあと、一年三ヶ月出来る限りの貢献をしたいです✊🏼

 

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